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再び「こども誰でも通園制度」を考えるⅢ ~誰のための何のための制度なのか?~

研究所メルマガvol.26

2024年8月5日

 今回のメールマガジンでは、「こども誰でも通園制度」(PartⅢ)について取り上げました。今年度から全国115市町村で試行的事業が始まりましたが、期待の大きさに反して実際の取組状況は必ずしも上々とは言えないようです。そこで、この制度の運用上の課題について、改めて考えてみました。

 2年後の本格実施を見据えて、「こども誰でも通園制度」の試行的事業が全国115市区町村で始まっています。この制度については、大きな期待がある一方で、不安や戸惑いも少なくありません。そのせいか、試行的事業も予算上は150自治体を想定していたにもかかわらず、4分の3程度しか手が挙がりませんでした。中には試行的事業に手を挙げて、その後で辞退した自治体もあったようです。

 受け入れ側の保育施設・事業者にとっては人材不足や保育スペースの問題などから受け入れ体制を整えられなかったり、費用(1人当たり補助額850円、利用者負担300円)の安さなどもあって、二の足を踏むところが意外に多かったようです。一方で、子育て家庭の利用者にとっては、おおむね好評のようですが、買い物や通院、自分の時間が持てることといった保護者のニーズによる利用希望が大半で、子どもの健やかな育ちという本来の視点が希薄であるのが現状です。

 そこで、今回の一連のメルマガでは、「こども誰でも通園制度」の本格実施に向けた課題を改めて考えてみたいと思います。

 検討する視点は、「制度の目的」「運用上の課題」「保育の再定義」の3つです。この3つについては、いずれ会員ページでも詳しく取り上げますが、今回は「保育の再定義」について解説します。

〈保育の再定義〉

 こども誰でも通園制度における子どもの受け入れについて、実は「保育」という言葉が全く使われていません。これは、偶然ということではなく、どうやら意図的に(意識的に)「保育」という言葉を使うことを避けているようです。

 「こども誰でも通園制度(仮称)の本格実施を見据えた試行的事業実施の在り方に関する検討会」の中間取りまとめ(令和5年12月25日)によると、同制度の創設について、「現行の『子どものための教育・保育給付』と異なり、就労要件を問わず、保育所等に通っていないこどもも、保育所等で過ごす機会を保障し、支援していくということは、従来の保育における大きな転換点である」と、その新たな意義を強調しています。

 しかし、「保育所等で過ごす機会を保障し、支援していく」として、「保育」するとは言っていません。さらに、同制度については、次のように説明するにとどまり、やはり「保育」という言葉が使われていません。

 「保護者のために『預かる』というサービスなのではなく、保護者とともにこどもの育ちを支えていくための制度であることを確認しておく必要がある」

 「保育の実施を目的とする保育所等では、こども誰でも通園制度のこどもを預かることで、保育所等に通っているこども達の保育に支障があってはならないという意識が重要である」

 揚げ足を取るようですが、同制度は保護者のために「預かる」というサービスではないとしながらも、「保育の実施を目的とする保育所等では、こども誰でも通園制度のこどもを預かる」として、「預かる」という表現をしています。

 その一方で、中間取りまとめでは、今後の留意点や検討事項の中で、「0歳~2歳児の年齢ごとの関わり方と留意点について、保育所保育指針等の記載も踏まえた内容となるよう検討すべき」「職員配置について、保育の質の確保や専門性をしっかりと発揮できるような形とすべき」などとして、保育所保育指針を踏まえることや保育の質の確保や専門性に触れており、限りなく「保育」に近い捉え方をしています。

 けれども、この制度に関して、ストレートに「保育」という言葉を使ったことはありません。他方で、こども誰でも通園制度と一時預かり事業は大きく異なるとし、預かりではないとしながら、同時に「保育」という表現を用いることも避けているように思われます。

ちなみに、こども誰でも通園制度と一時預かりの違いについて、中間取りまとめでは次のように述べています。

 「こども誰でも通園制度は、月一定時間までの利用可能枠の中で、就労要件を問わず利用できる仕組みとして創設されるものであるが、その意義は、一時預かり事業のように、①家庭において保育を受けることが一時的に困難となった乳児又は幼児、②子育てに係る保護者の負担を軽減するため、保育所等において一時的に預かることが望ましいと思われる乳児又は幼児を対象に、一時的に預かり、必要な保護を行う、いわば『保護者の立場からの必要性』に対応するものとは異なり、こどもを中心に考え、こどもの成長の観点から、『全てのこどもの育ちを応援し、こどもの良質な成育環境を整備する』ことを目的としているものである。」

 「一時預かり事業とこども誰でも通園制度を比較すると次表のとおりであり、共通する点も多いが、位置づけ、実施自治体、事業の目的や内容、利用時間などでは異なる。」

それにもかかわらず、なぜ「保育」という言葉を避けているのか、恐らく保育関係者の多くは理解に苦しむのではないでしょうか。

 実は、「保育」という言葉は、複数の使われ方をしていて、法令上も一つの概念ではありません。

 例えば、幼稚園については、学校教育法第22条で「幼稚園は、義務教育及びその後の教育の基礎を培うものとして、幼児を保育し、幼児の健やかな成長のために適当な環境を与えて、その心身の発達を助長することを目的とする」と規定され、小中高校と違って教育ではなく保育という言葉が使われています。幼稚園教諭についても、同法第27条の中で「教諭は、幼児の保育をつかさどる」と、「保育」が使われています。

 さらに、第25条では、「幼稚園の教育課程その他の保育内容に関する事項は、(中略)文部科学大臣が定める」として、「教育内容」ではなく「保育内容」という言葉が用いられています。

 これに対して、児童福祉法では、家庭において行われる養育を「保育」と捉え、一時預かり事業とは「家庭において保育を受けることが一時的に困難となつた乳児又は幼児」などを対象に、「一時的に預かり、必要な保護を行う事業」であるとしています。

 保育所に関しては、保護者の就労その他の事由によって乳幼児が保育を必要とする場合、つまり家庭での保育が十分でない場合に、保育所において保育することと規定されています。

 保育士に関しては、同法第18条の4で「児童の保育及び児童の保護者に対する保育に関する指導を行うことを業とする者」と規定しています。

 保育所における保育内容については、児童福祉施設の設備及び運営に関する基準の第35条で「保育所における保育は、養護及び教育を一体的に行うことをその特性とし、その内容については、内閣総理大臣が定める指針に従う」とされています。

 そして、保育所保育指針では、養護と教育が一体となった保育について、「保育における『養護』とは、子どもの生命の保持及び情緒の安定を図るために保育士等が行う援助や関わりであり、『教育』とは、子どもが健やかに成長し、その活動がより豊かに展開されるための発達の援助である」と説明しています。

 興味深いのは、保育所における「保育」について、養護と教育が一体となった保育と説明されているの対して、幼稚園における「保育」については明確な説明や定義が示されていないということです。しかも、学校教育法で幼稚園の目的として「幼児を保育し」と明記しているにもかかわらず、幼稚園教育要領には「保育」という言葉が一つも使われていません。それどころか、「教育」という言葉は随所に見られますが、「幼児教育」という言葉さえ出てきません。

 いずれにしても、「保育」という言葉は、法令こそ違いますが、幼稚園にも、保育所にも、家庭にも使われています。一時預かりも、以前は一時保育という言い方がなされていました。それだけ、「保育」という言葉は多義的なものなのだと言えます。

 そう考えると、こども誰でも通園制度でも「保育」を使って良さそうなものですが、「保育」の概念や定義が多様で、法令上ファジーであるがゆえに、逆に「保育」を意図的に避けたのかもしれません。とりわけ児童福祉の分野からみると、家庭で行われる養育を「保育」と捉えているため、(法令上)家庭での養育を受けていると考えられる未就園児は保育が必要とはみなされないことから、少なくとも児童福祉上の「保育」は使えないということかもしれません。

 戦後からの歴史的な歩みの中で、幼稚園と保育所の二元体制が確立され、その後の社会構造の変化の中で幼保の一体化が進められていくなど紆余曲折を経て、ようやく未就園児に対する育ちの保障という段階までやってきました。その間に「保育」という多義的な言葉を交通整理することができないまま、今日を迎えることになったと考えられます。

 しかし、子どもの立場から捉えれば、満3歳以上であろうが満3歳未満であろうが、保護者が就労していようがいまいが、健やかな育ちを保障することが基本であり、そのことに対する専門性を持った営み(あるいはアプローチ)を「保育」と呼ぶことに何の問題があるのでしょうか。「こどもまんなか」の発想に立てば、こども誰でも通園制度によって子どもに対して行う営みは「保育」だと思うのですが、いかがでしょうか。


*補論:こども誰でも通園制度は、今年6月5日に国会で成立した改正子ども・子育て支援法において、地域子ども・子育て支援事業の一つとして法的に位置づけられた。従って、法令上は「保育」でないこととされている。しかし、学校教育法上の「保育」と児童福祉法上の「保育」が併存するのであれば、こども基本法上の「保育」があってもおかしくないし、むしろこども基本法に「こどもまんなか」の観点から新たな「保育」を定義し、「保育」を包括的に、あるいは多義的に捉えることはできないのだろうか。国会で論議して新たな位置づけを定義すれば不可能ではないと考えるのだが…。

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