明治期より人口が多いのに地方が縮む日本
~1880年に東京府はベストテンにも入らず~
2026年10月11日

このコラムは、「閑話休題的な独り言コラム」となります。保育や子育て支援などに直接かかわる内容ではありませんが、物事をいろいろ考えたり、今昔の変化を感じたりしながら、様々な現象を捉える視点を提供したいと考えています。
ちょっと面白い話題や気になるキーワード、意外な変化などを取り上げて、頭の気分転換になるような軽いコラムを心掛けたいと思います。
ふと思い立って明治時代の自治体の人口を調べてみました。明治と言っても期間が長いので、一概には言い切れないのですが、それでも東京府の人口は長らく第1位ではありませんでした。第1位になったのは明治末期のことです。
具体的に見てみましょう。例えば明治13年(1880年)の総人口は3664.9万人、府県別では第1位が石川県で183.4万人、第2位が新潟県で154.6万人、第3位が愛媛県で143.9万人と続き、東京府は第17位で95.7万人、大阪府は第34位で58.3万人などとなっていました。
現在は、総人口が1檍2297.3万人(令和7年)ですから、明治13年の3倍以上に増えていて、東京に至っては15倍以上も増えていることになります。
明治末期でも人口は5000万人を超えた程度ですが、北海道や九州に行くと、明治時代に鉄道が通っていたという碑をしばしばみかけます。今の人口は2~3倍も増えているのに、地方では人口減少が加速し、ローカル線の廃線も進んでいます。
人口の少なかった明治期には、地方がそれなりに発展していて、鉄道も拡張していき、人口の多い今日では、地方で人口減少が加速し、廃線も増えていっている…。これは何故なのでしょうか。
その理由としては、①農業中心から工業・商業中心へ(当時の産業中心は農業や沿岸海運(北前船など)であり、広大な農地や港を有する地方に人口が広く分散)、②都市部への人口の一極集中(工業化やサービス産業化に伴い、人口の受け皿が大都市圏シフト)、③少子高齢化のダブルパンチ(若年層の流出によって地方で高齢化と少子化が同時に進行)といったことが考えられます。
また、①モータリゼーションの波によって鉄道中心から自動車中心へと変化、②「建設拡張期」から「維持・人口減少期」への移行、③就労・雇用の変化による影響といったことも大きな要因です。特に、就労・雇用の構造変化が、都市部への人口集中と地方の衰退を加速させた大きな要因だと言えます。
鉄道に関して言えば、次のような要素が大きく影響していたと考えられます。
・当時の地方には自動車もバスもトラックも舗装道路も存在せず、移動や物流の主力は徒歩や馬車、水運に限られていて、鉄道に大きなアドバンテージがあった
・明治から昭和初期にかけての鉄道の主役は「貨物」で、それが極めて莫大な利益を生んでいた
・富国強兵と殖産興業を掲げる明治政府の「国策」(産業育成・軍事・国土開発)としての投資であった
・政治家や地元の強い要望により最初から採算性をあまり考慮されずに建設されたものもあった
つまり、「当時は鉄道に頼らざるを得ない構造があり、収益源(特に貨物)も豊富だった」というのが、今より遙かに人口の少ない明治期に鉄道を拡張できた理由のようです。
それでは、少子高齢・人口減少が進む現在、産業構造や就労・雇用状況の変化を見通しながら、これからの社会、とりわけ人口減少地域のあり方をどのように考えればいいのでしょうか。
今すぐ答えを出せるわけではありませんが、140年あまり前の東京は人口が100万人に届かず、石川県の半分程度に過ぎなかったという事実と、今日の現状から何を汲み取るのか。さらに今後、10年、20年先にどのような変化が生じるのか、保育の未来と重ね合わせながら、いろいろ想像してみるのも一興かもしれません。
